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東風 第22号(2011年1月)

巻頭言

今年の干支はウサギである。私がまれて6回目の卯年を迎える、還暦ある。「赤いちゃんちゃんこ」を着て写真を撮るという脅しに屈して、東風の「巻頭言」を書かせてもらっている。

私の生まれた1951年は、朝鮮戦争(1950年6月25日~1953年7月2戦)の真っ最中であり、日本が占領下から独立国として国際社会に復帰するための講和所会議が開かれ、サンフランシスコ条約が調印された(調印49か国)。まさに日本が国際社会に復帰した年である。

私の60年の人生に影響を与えた教科書のフレーズがある。高校生の時の日本史である。「共産党の弾圧は戦争前夜である」(ドイツの例)。私なりに理解したのは、当時、天皇制反対や国民主権などの過激?な主張をしていた共産党が弾圧されても、他の多くの人たちは心の中ではおかしいと思っても自分には関係ない、自分の番が来れば声を上げよう。次に社会主義者が弾圧されたときには、国民は自分の意見は何も言えなくなってしまっていた。そして、戦争が始まったのである。その当時、すでに戦争反対論者であった私はすごく納得した。うんー・・・そうすると、国家権力が強くなり、人権が抑圧された逼塞した社会になれば、自分は弱い人間であり、日和見だから、すぐ強いほうの味方になる、これはやばい。そんな自分にはなりたくない。それなら、人権が抑圧され自由がなくなるような社会にしなければ良い。そのたまに、今、多少頑張ることはできるかな?そんなことを考えていた高校生時代であった。大学に入った年(1970年)に、安保継続反対闘争があった。安保改定から10年後、日米どちらかの国からも、安保条約の廃棄ができることになった年であった。60年安保ほどではないが、運動は全国的に大いに盛り上がった。母校からは、約2000名の学生たちがデモで国会に向かった。ベトナム反戦運動が盛り上がったころでもあった。

長い髪を切って、就職活動をするクラスメイトを見ながら、司法試験を始めた。それまではほとんど授業に出たことがなかったのですぐ合格するはずがない。苦難の道であった。

幸い弁護士に慣れて、人権・平和の問題に少し取り組みことができたが、高校時代の決意からすると、忸怩たる思いが残る。04年から「9条の会」の運動参加させてもらっている。憲法9条を守り、発展させるために、これからも腐らず、焦らず、たゆまず、頑張らずに、戦いましょう。還暦の決意である。

紙面について

特集
さあ勝ちに行こう
発行
2011年1月
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東風 第22号
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