巻頭言
私が「正義」に憧れを抱いたのは、幼稚園のころが最初だったと思う。その頃の「正義」は、変身ベルトを身につけて、どんな怪人でもやっつける正義のヒーローだった。小学2~3年生の頃、湾岸戦争が起こった。テレビには映画のような煌々とした光が映し出されていた。多国籍軍がイラクを攻撃していると教えられた。現実世界で、今現在も戦争が起きていることにショックを受けた記憶がある。それでも、当時は、戦争は「正義」が「悪」を倒すための戦いだと信じていた。しかし、そのうちに「どちらが正義でどちらが悪」と簡単には区別できないことや、「正義」と「正義」が衝突せざるを得ない場面があることを知った。「何が正義か」についていろいろな考え方があり、それぞれに「正義」がある、という場合もあったのだ。
結果的に何が「正義」だったのかは後世の人が判断するしかないのだろう。大事なことは、今を生きている私達が、今直面している問題について、自分なりの「正義」にかなった選択をすることである。そのために、何を基準に「正義」を判断するかというものさしを手にしておく必要がある。何をものさしにして正義をはかるか、これは難しい問題かもしれない。だが、地域住民を犠牲にして原発を作ることや、震災からの復興に名を借りた増税に「正義」などあるはずがない。何かおかしいと心が感じたら、本当に正しいことなのかと自分に問いかけ、自分の頭で考えていく必要があるだろう。最初から万能なものさしなどないから、自分で考えながら、ものさしを作っていくしかない。誰かの持っているものさしが常に「正義」とばかぎらないから。
今年、私たちは、原発問題・消費税等の増税問題・TPPへの参加の可否(どういう内容で参加するかも含む)などの問題に対し、選択を迫られる年になるかもしれない。選択の迫られ方は様々で、選挙で民意を問うという形もあれば、原発問題に対する裁判に参加するかという形もありうる。
どう考えるか、これまでの考え方が揺らぐこともあるかもしれない。それでも、絶対に譲れない、変わっていけない点はある。(一部の)国民を犠牲の上に成り立つような政策に「正義」はない。
表紙の写奥のタツノオトシゴのように、周りに流されず自分の「正義」を貫いて、正しい選択をしたと思える年にしていこう。
紙面について
- 特集
- 新春対談 原発ゼロに向けて(縄田浩孝、田村貴昭)
- 発行
- 2012年1月
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- 東風 第24号